2種類の大人

安定を求める大人

夢を追いかける大人

大学生目線から、大人をこの2つに分類できると思った。

まさにこの2人が今、職場の上司として共に働いている。仲が悪くないが、ぶつかる時がある。昨日、僕は前者と意見が合わず言い合いになった。

前者は安定を求めた上で、アルバイトとして働いている。後者は、夢を追いかける過程でアルバイトとして働いている。前者はその職場、大手居酒屋チェーン店に生活を委ねている。そういう人は他にもいる。だから献身的に、働いている。後者は、目標のための通過点としてそこで働いている。別にその職場で働かなければいけない訳では、ない。そこにいなくとも、稼ぐことができる。だから、生活のために安定を求めている訳ではなく、夢を追いかけ、結果的に安定している。

安定は、求めることではない、と思う。俺は絶対に後者だ。前者と昨日揉めたことによって、それに少し気付かされた。

正直、安定は求めることでもあるとは、思う。求めなきゃ行けない状態になることが、ある。そんな状況にいる、友人がいるからそれは感じている。

子供がいるということ。子供ができたら、安定は求めるべきことだと思う。ただ、子供や、守らなければいけない人がいないのに、安定は求めることなのか?

安定は、守りたい人、守らなければいけない人を守るための手段。

安定は、夢を追いかけた結果生まれる、結果。

この2つの理論を、2人の上司から学んでいると、感じた年末年始。
かっこいい大人がいる。中学のサッカー部の後輩で、自分より2つ下の男だ。母子家庭で、母親のために高卒で地元の大手に就職し、家を建てたらしい。その情報を耳にし、彼が自分を慕っていた姿を思い出し、嬉しさがこみ上げてきた。と同時に、自分が情けなくも、なった。後輩がでかくなっている。負けてられない。彼は今年、成人する。自分の周りには、かっこいい人がたくさんいる。

人間関係で大切なのは、需要と供給なのかなと。

相手が求めているものや、ことに対して、自分は何を与える事が出来るのかを考え、行動する。

わがままな人もいる。良くも悪くも「普通」とか、「当たり前」と思われていることをしない人もいる。クズだと思われる人もいる。社会的にとか、という理由で批判される人もいる。昨年はその一部が日本でかなり話題になった。

僕は祖の教えの元で、自分で考え出した答えを貫いていくことにする。

「失敗」の1年

2017年は、失敗ばかりだった。

人間関係、家族関係、男女関係、キャリア、大学、人様に迷惑ばかりかけてしまった。

目的と手段、KGIとKPI、こういうワードがあることを知った時、自分を振り返ったら吐きそうになる。

機会があったらなんでもやってみる性格なのか分からないが、いつもやってみて、それで終わる。目的がなく手段が先回りするから、1歩も進めていない。夢だけ語る、ださい人間になってた。

トビタテ留学への挑戦、トビタテで留学することが目的化していた。選考会で、熱い人達を見ることだけできた。知り合った人の中で、ほとんどが今、イギリスでファッションの勉強したり、スイスでドローンの研究したり、デンマークで少数派の社会問題に取り組んだり、トビタテの奨学金を得られなかったけど、早期卒業してイタリアの学校でファッションの勉強をしている、大学の同期などがいる中で、俺は機会があったから行けた2回の留学のおかげで、大事な、自分自身で目的を具現化、言語化する作業を怠るようになった。だから、「地方創生」「地域の活性化」こういったことを、国がそう言っているから、とか他人を理由にして、全部自分の利益にしようって考え方が、染み付いてしまった。

社会に出たら誰も守ってくれない。

今まで家族が自分を守ってくれた。家族は地域の人達と支えあって生きてきた。今、母親が学費を納めてくれ、生活費を稼ぎ、大学が自分を守ってくれている。

就職するのか、大学院へ行くのか、起業するのか、こんな、選択肢という誘惑から、今年は逃げて来た。別にどれも興味ない。直感的にこれだ!という選択肢が自分が見えている領域の中には、なかった

という、逃げを挑戦という言葉に摩り替え、七尾市にインターン生として飛び込んだ。七尾市のいしり亭を選んだ理由は、森山明能さんという人に興味を持ったから。経営者になるという目標があり、石川県で家業の自動車学校を経営しながら、七尾を拠点に全国で活動する姿が、印象的だった。

七尾での4ヶ月間で気づいたこと、教訓はこれら。

  1. 自分は常に責任逃れできることをやっているだけ
  2. 「うるせえ」と自分に言え
  3.  「家族」が生きることの目的

 

幼少期はサッカーに打ち込んでいた。そして中学であの黄色い軍団、星稜を倒すという目標があったから、中学、高校とサッカーに打ち込めた。自分で決めた目標だったから、本気で打ち込めた。目標は達成できなかったが、燃焼できた。

高校3年以降、すべて他人任せ。学校関係者は金大金大って言うから洗脳されるかのように、金大合格を目標に勉強していた。高校3年の12月、友人が法政大学受けて上京するって聞いて、めっちゃ羨ましくなって、母親が用意した桜美林の冊子を見てたら大学とかいいから東京行きたい!って思って、姉もいたから上京するために東京の大学を受けまくった結果、桜美林になった。結果的に、母親が行きたかった大学に行き、大学が用意してくれた留学プログラムで2度、留学した。能登留学のインターンで七尾に来た。いろいろ自分からやっているようで、全部、大学のせいにしたり、能登留学のせいにしたりできるポジションにいる。

俺がなりたい姿ではない。

自分で決めて、歩いていく。そこに人が集まる姿を理想としているのに、全部他人任せ。もうそんな人生は、辞め。ストレートで大学院進学をめっちゃ推す母親がいる。それを理由に、また道を他人任せにするところやった。母親、「うるせえ。」母親に洗脳されてたまるか。

 

と、「うるせえ」というのは自分の脳に対して。母親には、「うるせえ」なんて思ってない。自分を洗脳しようとするもう一人の自分に対して、「うるせえ」と、言う。こうやって自分自身にうるせえと言うという技を覚えることができた。これはかなりでかい今年の収穫。

 

家族

一つ上の従兄弟に、二人子供がいる、二人目が5月に生まれた。地元の友人に、子供がいる。親戚が結婚して又従兄弟ができた。

森山明能さんが家を建てた。竜太さん、亜子さんが結婚した。

曽祖母が、死んだ。

誕生と、死を見た2017年。

従兄弟は、子供ができてからめっちゃかっこよくなった。皆、覚悟決めて、生きている。守る人がいる人はまじでかっこいい。そして、めっちゃ幸せな気持ちになる。

自分の両親は好きやけど、やっぱり憎い気持ちがある。他の家族を見てると、なんで俺の家は。。。って、離婚して、死にかけの商売やっとって、ってなんか嫌になる。

「うるせえ」どこが死にかけの商売や。家業イノベーションキャプで目ギラギラさせて実家がやってきた商売の遺産を、将来の可能性と見てギラついている人たち見たやろ?と、いま、燃えている俺が中にいる。

地元を守るとか、盛り上げるとか、そんなん結果的になればいいんや。とにかく、俺は

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これらを売る。

だからそのために、という道を計画して歩く年、まずそれが2018年になる。

 

祖、みさをばあちゃんに感謝して新年を祝いたい。

 

感謝

平成29年12月25日10時42分

愛する家族が1人、深い眠りにつきました。

熊田みさを(旧姓:高崎)、97歳。

僕との関係は曾祖母であったが、本当の母のような存在だった。

約13年前に親父の会社が倒産し、湊町に引っ越した後、生活面、精神面で自分を支え続けてくれた大切な人。幼少期の記憶は素直で、好き嫌いがはっきりしていると、思う。小学生の時は、母親は、仕事が忙しいのか外にいることが多く、祖父と祖母も実家の商売で忙しく、僕のようなガキに対して「育てる」ことをしてくれたのは、曾祖母だけ。

幼少期なんて、経済面でどれだけ支えてもらっていても、それを感じることなんてない。それは社会に出てからやと、思う。幼少期に自分という人間が、将来、海野将志として社会で生きていく時の、人への接し方や、見た目も含め、性格、第一印象、僕という人間の心と体を作ってくれた人が、ばあちゃんだった。

つまりばあちゃんが、海野将志の人格形成の親であるということを、改めて今感じている。

昔、学校では、人に悪さばかりして放課後はサッカーに打ち込み、家に帰るとシワシワのばあちゃんがいて、この人には優しく接しないといけないと、いう自覚があった。その頃は地位とか立場とかそういうことはどうでも良くて、ただ自分より弱い人は優しくし、守らなければいけないという意識はあった。でも、悪さばかりしてた。自分を見て欲しくて。

家に帰ると、「ごはん食べたか?!」っていつも聞いてきて、食べた!って言っとるがんに、すり足で台所と茶の間を行き来し、自分が作ったご飯を運び、与えてくれた。だいたい、近くの魚屋で買った魚の煮付けか、焼き魚に、味噌汁とごはん、という組み合わせがほとんどで、友達の家のごはんは、両親が作るハイカラな感じで羨ましかった。

中学、高校とさらにサッカーに打ち込み、夜も遅く、帰るとばあちゃんに会えない日もあった。思春期になると、過保護なばあちゃんが、ウザったくなった。会うとうるさいから、それを避ける日もあった。

桜美林大学に進学し、上京した。アメリカへ留学した。帰国した。実家に帰った時の、心から安らいだ気持ちを今でも忘れない。今ならなぜそんな気持ちが生まれたのか分かる。

それは、帰る家が、あったから。この家というのは物体としてもそう、でも目に見えない気持ちの拠り所としての家が、僕にとって湊町の9区に存在していたから、こんな気持ちが生まれたのだと今では、分かる。ばあちゃんはこれまで、家を結果として守ってきた。戦前、戦後と守ってきた。家の前のコンクリが、砂利道だった時から、守ってきた。

守ろうとしてではない、家族が帰る場所を、大正、昭和、平成と時代を超えて、思いを持って作ってきた。だから結果として玄孫が生まれた時代まで、守られている。

成人式、スーツ姿を誰よりも先にばあちゃんに見せたのを覚えている。東京から帰った時、家に入ってばあちゃんに声かけると、「帰ってきたんか~」と言って、毎回のように泣く。そんなばあちゃんが好きすぎて真っ先にこの20歳という節目の時を、知らせた。それが今から約2年前の話。

今、葬式を終えてやっっっとばあちゃんが家に戻ってきた。やっと、ばあちゃんの愛する夫、満の元に来れた。きっとこんな顔で、満と歌でも歌っとるんじゃないかな~。
「地域に貢献したい」「地元を盛り上げたい」「地元を守りたい」「地元のリーダーになりたい」「家業を継ぎたい」

こんなことばっっっかり、俺は言ってきた。結果としてしか生まれないことばっかり言ってきた。でもそうしたい、そうなりたい気持ちは人一倍強いと実感している。みんな、何かのために家を出る。昔だったら男は戦争に行き、女は家で働く。ちょっと前だったら、男は働きに出て、女は家で働く。今だったら、みーんな働きに外へ出る。働くことは、何かのためにする手段なのに、働くことが目的になって進学したり就活する世の中。俺もそう、熱中できることがサッカーで星稜に勝つことで、それがなくなったから熱中できることを探しに東京とか、アメリカとか、フィンランドに行った。でも、幸せを感じる時は家に帰った時。

25日から28日まで家にいて、ばあちゃんの側にいて、昔、満じいちゃんの趣味だったであろう、昔の湊町の写真を眺めて、自分が見たことのない綺麗な姿のみさをばあちゃんを眺めてると、時空を超えてばあちゃんに恋した気持ちになった。じいちゃんが羨ましい。

ばあちゃんは死ぬ間際まで、日記を書いていた。字はかなり読みづらいけどはっきり何を伝えたいか分かる。

「家に帰りたい」「徳江が家にいてくれるから安心」家への思いの強さを感じる。たまに出る可愛さも忘れられない、自分の部屋に間違っておじちゃんが入ってきたらしく、それを「誰でも失敗はあるよ」と悟るように書いてったりもした。

「何」を、彼女から受け取るか。

ばあちゃんが生きた97年。最後は、3人の孫、4人の曾孫、2人の玄孫に見送られる姿。葬儀後、新聞見て家に駆けつけ、ばあちゃんを参っていく地域の人達の声。

人の幸せは、その人が決めることかもしれないけど、共通することがあるんではないか。帰る家があるということが、どれほど人間にとって大切なことか、彼女の生き様、死に様からその大切な思いを受け取った。

祖父祖母は、もう70代。母親はこれから、外へ外へ出ていこうとしている。姉も、外へ外へ出ている。誰が、このばあちゃんの思いを、伝えていくのか。

俺しか、いない。

熊田家を、俺が守る。別に自分の帰る場所じゃなくていい。他人でもいい。親族じゃなくてもいい。形式にはこだわらない。

それは、みさをばあちゃんが12月25日に眠ったからそう思うのかもしれない。今、実家に満じいちゃんと、みさをばあちゃん、昔飼っていたピースという柴犬の、3人の写真がある。3人は今、何を喋っているんかな。

突き詰めるところは、平和とかいう言葉になるかもしれん。条約とか、協定とか、憲法とか法律とか制度とか、決め事は手段として大事。でもいろんな既存の手段、新規の手段ができていく世の中だからこそ、信念を貫いていくことが大事。

それは結果として良くも悪くも後世に残っていくはず。自分の祖は、間違いなく「熊田みさを」。この女性に愛されたように、今、そしてこれからの家族を愛していく。

みさをばあちゃんいつも、俺の中にいる。

これからも、湊町にいる。

ありがとう。ばあちゃん。

「家」

2017年を振り返っての今、自分の今年を表す漢字は、「家」、これだ。

1月、仙川の職場に出戻りした。自分は大学がある町田より、東京に来てずっと住んでいる仙川という地域に思い入れがあったみたいで、職場に戻ると留学前から一緒に働いていたメンバーがいて、すごく心地よかった。帰る場所があることの、喜びのようなものを感じた瞬間だった。それからその職場で、今ではこれまでの人生で最も尊敬する先輩と出会い、時間を共にしてきた。彼の元で、夢を持って生きていくための時間の使い方を学び、また、結果として人を守るためにやるべきとこ、あるべき姿を学び、ある1つの職場が、家のようになっていく過程を、見てきた。自分もその家にいるひとりになった。

4月、大学で中小企業の講義を受けた。事業承継、なんでこんな難しい言葉を作ったんやろう。尊敬する先生、堀教授の元で留学プログラムに取り組み、ヒョンなご縁からその講義が、自分の人生を左右することになった。

そういえば実家、、、今どうなっとるんやろう。

家のことを知りたくなった。避けてきた家の仕事と向き合いたくなった。家業イノベーションキャンプに、応募してみた。そこで、家業をもつ若者後継者との、繋がりができた。

家業ってなんやろう。宮治豚の宮治さん曰く、「オーナーシップ」「ビジネス」「家族」、この3つらしい。自分は将来、家業を継ぐんやろうな、そんなふうに、いずれそのときは来ると思って、フラフラしてその時を待っていたのが自分。突き詰めて言うと、先代の家族が死ぬのを待っているのが自分んの状況だったと思う。一番恐れなきゃいけないのが、「手遅れ」になることなのに、家族と接することを避けたい気持ちから、自分から逃げてきた。言い訳を美化しながら。だから、大学4年目にして、進路について悩んだ。自分が本当に、「したいこと」ととして発信してきたことが、結局偽りだったと、今では思う。

今年の夏、たまたま、森山明能さんと出会い、七尾に飛び込んだ。4ヶ月のインターン生活、いしり亭での店舗改革に試行錯誤しながら、自身の家業についても試行錯誤してきた。

昨日の忘年会、明能さんの今年の文字は「家」だった。自分も「家」と書いた。昨日、その瞬間やっぱり運命やと思った。直感で、明能さんの元で、働いてみたい。そう思って飛び込んだ七尾で、まちづくりへの理念、経営理念、など、思いを形にしていく人達の姿を見た。

僕は思いを「形」にできていない。なんでかと言うと、目標がブレブレだから。家業と向き合うとか、地元を率いたいとか、抽象的すぎる自分の目標は、どうしても毎回手段が先行してしまう。好奇心があるからと言い訳して、学生という身分をフル活用して、なんでもやってきた。その中で、たくさんの信頼を失うこともあった。それが一番悔しかった。自分はこの、家への思い入れが特に強いと思う。幼い頃は、他人の家族が羨ましかった。海野家は、嫌いだった。母親を殴る父、それを見て泣きわめく姉、それをボオッと見つめる自分。 引っ越しを繰り返し、親が離婚し湊の家に母と、姉と戻ることになった。それから曽祖母に育てられ、母親は洗礼を受け、祖父祖母はハンコ屋さんの商売を続け、熊田家の皆が好きなことに没頭している姿を見て、自分も好きなことをやりたい、それを探しに東京へ行った。今、その家業の自分が継ぐ準備をしている。継ぐことは目的じゃなく、継いだという結果になればいい。先代から受け継いだのは、「オーナーシップ」「家族」この二つ、ビジネスは俺が決めて、やる。そしてこれまで自分が口先で言い続けてきた、「地元を守る」とか「代表になる」とかは、結果として着いて来ればいいだけで、今は別にそんなことはどうでもいい。今まで歩いて来た場所、出会って来た人の幸せを追求するための道具として、家業を継ぐ。俺は、屈しない。

大切な家族ができた。いしり亭ファミリー。いしり亭、もりやま、いしり工房、常連の岡本家、今年、特にこの4ヶ月、新しい家の形ができていくのをこの目で見て来た。また、家の形が壊れそうになるのも、同時に見て来た。忘年会の席で、岡本家、森山家、の姿を見ているとニヤニヤが止まらなかった。嬉しかった。自分がその輪に、いられるということ。自分が勝手に思ってるだけかもしれないけど、日本だけでなく世界中に自分にとって家のような場所、家族のような人がたくさんいる。全ての人を幸せにしたいという思い、まずは地元白山市、その前に海野家、熊田家、この両家を結果として守り、夢を語るのはその基盤ができてから。

来年、刺激的な1年になりそう。

能登には多大な感謝ができた。いしり亭ファミリーのために、もう少し思考錯誤する。

家業イノベーションlive

12月17日、家業イノベーションLIVE@東京

熱かった。熱すぎた。ファクトリエの山田さん、平和酒造の山本さん、奄美の酒井さん、熱かった。山田さんは夏にお会いしてそのときに感じた熱さがあった。4ヶ月経った今、その時以上に目をギラギラさせていた。見てるとこが違う、見てきたことが違う。覚悟を決めた男の熱さを、感じた。

平和酒造の山本さん、地方創生という課題、これは地域の衰退によって起きた課題であって、働き手がいないとかいろんな理由があるかもしれんけど、地域だけにフォーカスしてなんとかなる問題ではない。そして、地域を守るとか、事業承継、第二創業とか、それは、結果。それらが目的になってはいけない。そこが自分の間違った考え方やったなと、思った。

かなり、手段が先行していた。夏、山田さんがおっしゃってた手段が先行すること、認識できたと思ってたけど、まだまだやった。継ぐとか、守るとか、そんなの今考えることではない、そういう思いはあるから、それは結果として自ずと出てくるはず。でもまず、目標、これを決断しなければならない。

家業ってみんな言うけど、それが政治になっても家業って言えると思う。実際うちの婆ちゃんは実弟が市長やから、地元で商売できなくなったり制限されとる。でも、市から仕事もらったり融通効くこともある。市長とか、県知事とかからしたら、市民とか県民がやっとる仕事って家業になるんじゃないかな。政治は、わからないことが多い。だから来年七尾で、トライしてみる。

今回のイベントでの気づきは3つ。

1. 地方の課題は地方だけで解決できない。

2. 「地域を活性化」「地域を守る」「事業承継」これらは結果。

3. 「向き合う」は乗っ取るための手段。とにかく、売れ。

もう、地方の課題は地方だけで解決出来ない時代になっている。地域を守るとか、伝統を残すとか、抽象的な「もの」に執着しすぎとる気がした。でも突き詰めて考えると、「人」じゃね?って思う。

俺が地元が好きって思い始めたのは、友人が子供を生んだ時。この子供たちがここで育っていく未来を想像した。従兄弟にも子供ができ、七尾でも子供たちを育てる大人の姿を見て、人って何のために生きるのか、俺の感覚にはなかった、やはり子孫のためなんじゃないかな。現状、俺には子孫はいないけど、友達や先輩方の子孫、地元白山市で生まれた子達が可愛くて仕方ない。子供ができたとき、俺の友人でもそう、覚悟が違う。東京で仲良くしとる人たちの中で、子供ができても産まないと覚悟を決める人もいる。

女性は覚悟を決めたら突き進む力がある。だから、実の曾祖母、祖母、母親はかっこいい。突き進む中でしっかり実績を積んでいる。父親は、わからない。たとえ俺の知らないところで実績を積んできたとしても、俺は知らない。そして、それはきっと過去の話。過去も、そして今も、努力し続ける祖母、母親の背中を見てきたからこそ、俺にはそのオーナーシップが受け継がれている。

目標ができた。口先、過去の栄光、言い訳、逃げ、ださい生き方はもう辞め。自分を兄のように慕ってくれる大切な繋がりもできた。大切な、「人」のために、その人たちが自分の幸せを実現していく働きかけをするために、突き進む。屈しない。

沸点

金沢で純也さんの後輩にボコボコにされた。
夏目ホルモンファクトリーの後継者である、夏目さんにボコボコにされて、
目標も人生もブレブレな自分を見ることができ、昨日杉山の姿を見て、
彼こそが改革者やなと。
僕の場合、チャンスがありすぎて、あれもこれもって手を出し、
いしり亭のインターン生であってもその先に、上に目標があるはずなのに、
それを探しにきている時点で、明能さんや竜太さんに自分の人生を任せてしまっている。
悪く言えば、いしり亭のインターンでうまくいかなかったら、
誰かのせいにできる環境にいるから、今まで資産を積み上げてきた家族に守られ、
僕はハングリーだと思われたくて、
人の幸せをどうのこうのって言ってるけど結局家の金で今、
その人を幸せにするという夢を実現しようとしている。
もう、辞める。
家業イノベーションキャンプで家族と向き合いたい、家業を乗っ取ると宣言したけど、
全くその目標に対して働きかけをできていない自分がクソだった。
孫として扱われるから今は何もできないと家族を言い訳にして、
大学院とか、就職とか、この前キリンのプロジェクトに携わる機会があったから、
キリンに就職してみようかなとか、そんな考え一旦置いておいて、
家業を立て直して白山市長になるという目標、家業を立て直すためのステップとして今、
いしり亭でいしりを売るための社内改革をやっている、その経験を元に、
山で漬物作って売ってそのお金を建設会社の負債と孫のお小遣いにあててる70歳の祖母、
今まで道を作ってきて会社が倒産して今は友人の畑で無農薬の野菜を作っとる75歳の祖父、
この人たちが死んだら自分が変わるだろうと、
その時はいずれやってくるだろうけど、もしかしたら、
その時を迎える前に僕が死ぬという可能性もある、
「」の海野将志ですと、もう言えるはず、
その「」に入る言葉は出ているはずなのに、
それから逃げているだけ。
振り返ってみればいしり亭のインターンをやりたいと思ったのは、
おばちゃん達が頑張っている店舗を俺がなんとかしたい!と思って来たのに、
できたことは、明能さんが考えたシフト制と水曜日営業だけ、
僕は何もできていない。明能さんが考えたからという言い訳逃れができるから。
でもそれは僕がいなくてもやろうとすればできることやと思う。
待つのも、言い訳するのも辞める。
高校時代のときは「星稜に勝つ」という目標があったからハングリーにやってた。
目標がなくなったから次の目標を探しに東京に出て、
アメリカ行ってフィンランド行って能登に来て、
探してるようで待ってるだけの自分に気づかされ、
それを否定され。否定されるのも待ってた。
そして否定された。今、白山市から僕は守られている。
白山市が僕を、市民を守るそのために生きるという生き様、
死に様を求めることが僕のしたいこと。
明日、家業イノベーションliveがある。
この沸点に達した状態でファクトリエの山田さんに会えることを楽しみにしている。

東京からのお客さん

東京から姉が帰ってくると聞いた。

先月末、曽祖母の容態が良くないと聞き、僕はすぐに実家に帰り、最後になるか分からないけど僕にとって本当の「母親」に会ってきた。うちの姉が東京から帰ってくると聞いた時、やっぱり姉もひいばあちゃんっ子やなって思った。

それがただの帰省じゃなくて、友達連れてきて「観光で来た」ついでに曽祖母に会いに来たっていう口実で帰って来て、家族に気を使わせようとしないところが、さすが姉。俺やったら、まあ学生やからってのもあるけど、バカ正直に帰って来てしまうと思う。俺も姉も家族、特に「ひいばあちゃん」への思いがあって、そこにでかい愛があることがわかる。よく考えたら、親が離婚して互いに湊の家で住むことになた時、一番親身になって面倒みてくれたんが、ひいばあちゃんやった。たぶん、幼少期のことやから姉も僕も、感じとることは一緒なんやな。姉弟って面白い、家族という繋がりを感じる時は、まさにこういう時。

 

そんな姉が、のんちゃん、あかねさん、Juriさんといしり亭に来てくれた!姉は別にいいけど、東京からはるばる能登まで足を運んでくれたことが嬉しくて、いしり亭の料理を食べてくれて、ちょっとだけ七尾を案内できて、なんか新鮮な時間やった。僕にとっては姉の友人であるけど、ただただ僕の好きなアーティストでもある。むしろそっちのイメージが強い。姉も含め、この人たちのダンスが、ただ「ダンス」と言っていいんか分からんけど、ほんとにやばい。昔、よさこいやってたときは、近くで姉がバレエとかやってても、それがなんなんみたいに全く興味すらなかった。よさこいしてたときは、男子の先輩がかっこよくてただ適当にやってたな。

今年の夏、いろんなダンスグループが披露するなかで、Juriさんのナンバーが出てきたときにそれ見て「やべえ」って思ったのがきっかけかも。それから俺はファンになってしまった。今度、Juriさんの舞台に出させてもらうかもって話になったから、楽しみで仕方ない。

このアーティスト達の作品を能登で披露し、能登を明るくするという、目標がまた一つできた。

 

 

仲代達矢

先日、テレビで仲代達矢さんの特集を見た。
1983年
旅行で能登に来た時に、能登の人々の魅力に惹かれ
毎年能登で稽古合宿をするようになったらしい。
20年前に仲代さんの監修で演劇堂が建てられ、
今、能登演劇堂で「肝っ玉おっ母と子供たち」
が公演されている。主演は仲代達矢さん、85歳。
最近のいしり亭のお客さんで
演劇堂へ行く前に、ランチしに来る人が多い。
東京から、金沢から、白山市から、いろんなところから。
自分が高校の時亡くなった、うちの曾爺ちゃんは
通信兵として戦争に行ってた人やったなと。
そしてうちの曾婆ちゃんはまだ生きとる。
小さい頃から家帰っても母じゃなくて
曾婆ちゃんと爺ちゃんと生活して、会話してきたからこそ、
なんか大きく感じることがある気がする。
戦争の時代を生き抜いて来た人らの命を感じたくて。
特集見ただけで、熱くなってしまうてことは、
演技見たら蒸発するかもしれん。と思って行ってみた。
能登中島駅を下車し、歩いて能登演劇堂へ。
見渡す限り山か田んぼ、上を向くと鷲が気持ちよさそうに飛んどる。
とか思いながら、のんびり歩いとったら通り雨が降ってきた。雨宿りなどするところはなかった。
いや、雨宿りしようと思えばできたと思う。けっこう強めの雨に当たっとるとき、
「生きとるな〜」って思った。こういう時、一番命を感じる。自分が世界の中で生きとるなあと、感じる瞬間。
日本の、しかも大好きな地元石川県の雨を全力で感じながら、びしょ濡れで演劇堂についた。
見渡す限り、じいちゃんばあちゃん、しかもかなりの数。座るところの争奪戦。
絶対あの中に20代はおらんかった、30代もおらんかったと思う。
15:00 開演
能登演劇堂の醍醐味、後ろのドアが開き、森から主人公の肝っ玉おっ母(仲代達矢)が出てきた。
会場では拍手が起こる。物語は進んで行った。
話はフィナーレ、思ってたのと違う。戦争と平和について考えさせられ、感動している自分の光景を想像していた。が、
話の内容、演出、そのへんは全然分からんかった。どうしよ。とか思いながら、
この俺の周りのじいちゃんばあちゃんは何を思っているんやろうとか考えていた。
舞台は終わり、拍手が起こる。鳴り止まない拍手。その音が忘れられない。
幕が閉じる。鳴り止まない拍手。幕がまた開く。立ち上がるじいちゃんばあちゃん。それに応える仲代達矢。僕は気づいたら泣いていた。
正直内容とかどうでもいい。目の前にいる仲代達矢は85歳にして、命がけで何かを伝えようとしていたんじゃないか。その特集を俺は見たじゃないか。
この人気は、この拍手の量は、彼の生き様、死に様への形だったはず。
周りで立ち上がって拍手していくじいちゃんばあちゃんの光景、目に焼き付けた。
将来どうなりたいか、キャリアについて最近はよく近くで議論されている。死に方、死に際について議論することこそ、
もしかしたらキャリアを考える上でのヒントになるんじゃないか。
今、僕が愛する人の一人、曾婆ちゃんが死に近づいている。
会いたくなった。と同時に将来家族が欲しい願望がまた強くなっていった。

能登上布

建物に入ると、奥の方から聞こえるガッタンガッタンの音と共に、
僕の半分くらいの小さな小さな体のおばあちゃんが出迎えてくれた。

七尾駅から4駅の能登部駅から徒歩10分、
住宅の周りには田んぼ。奥には里山。そんな景色を見ながら、
能登上布会館へ到着する。会館の前の公園では、おじちゃんおばちゃんがゲートボールをしている。
ついこの前、井の頭公園ではおじちゃんおばちゃんがテニスをしているのを思い出した。自分は50年後何しとるんかな、ゴルフかな、きっとサッカーだろう。

中能登町にあるこの、能登上布会館へ来ようと思ったきっかけは、
いしり亭に併設しているギャラリー葦で、能登上布の作品を販売しているからだ。
特に、先日白山市からの団体客が能登上布の付箋を爆買いしていったことから少し意識して作品を扱うようになり、
麻織体験もできるとのことで、行ってみた。

9:30 能登上布会館へ到着。
冒頭にも書いた小柄なおばあちゃんが出迎えてくれ、中へ入るとうちの母方の曾ばあちゃんくらいの
おばちゃんが二人、ガッタンガッタン音を立て、布を作っていた。
台がずらーっと並ぶ中、おばあちゃんに教えられ、自分も麻織をしてみることになった。
台をガタガタとする理由が分かった。目の前で糸が一本一本繋がっていく。そしてギャラリー葦で見たことのある布が出来上がっていく。
出来上がっていくのが楽しく、作るのに熱中していると時間は過ぎており、

「お茶ですよ〜」の声がかかっていた。どうやらおばちゃん達の小休憩らしい。
なんと、優雅な休日か。おばちゃんたちが休憩しながらどんな会話しとるんかなと、想像しながら僕は布を作っていく。

指導してくれたおばあちゃん、あまり教えるのが慣れていないと自分で言っていたが、
また一人、僕の先生ができた。次は取材しに来るねと約束し、会館を後にした。