「家」

2017年を振り返っての今、自分の今年を表す漢字は、「家」、これだ。

1月、仙川の職場に出戻りした。自分は大学がある町田より、東京に来てずっと住んでいる仙川という地域に思い入れがあったみたいで、職場に戻ると留学前から一緒に働いていたメンバーがいて、すごく心地よかった。帰る場所があることの、喜びのようなものを感じた瞬間だった。それからその職場で、今ではこれまでの人生で最も尊敬する先輩と出会い、時間を共にしてきた。彼の元で、夢を持って生きていくための時間の使い方を学び、また、結果として人を守るためにやるべきとこ、あるべき姿を学び、ある1つの職場が、家のようになっていく過程を、見てきた。自分もその家にいるひとりになった。

4月、大学で中小企業の講義を受けた。事業承継、なんでこんな難しい言葉を作ったんやろう。尊敬する先生、堀教授の元で留学プログラムに取り組み、ヒョンなご縁からその講義が、自分の人生を左右することになった。

そういえば実家、、、今どうなっとるんやろう。

家のことを知りたくなった。避けてきた家の仕事と向き合いたくなった。家業イノベーションキャンプに、応募してみた。そこで、家業をもつ若者後継者との、繋がりができた。

家業ってなんやろう。宮治豚の宮治さん曰く、「オーナーシップ」「ビジネス」「家族」、この3つらしい。自分は将来、家業を継ぐんやろうな、そんなふうに、いずれそのときは来ると思って、フラフラしてその時を待っていたのが自分。突き詰めて言うと、先代の家族が死ぬのを待っているのが自分んの状況だったと思う。一番恐れなきゃいけないのが、「手遅れ」になることなのに、家族と接することを避けたい気持ちから、自分から逃げてきた。言い訳を美化しながら。だから、大学4年目にして、進路について悩んだ。自分が本当に、「したいこと」ととして発信してきたことが、結局偽りだったと、今では思う。

今年の夏、たまたま、森山明能さんと出会い、七尾に飛び込んだ。4ヶ月のインターン生活、いしり亭での店舗改革に試行錯誤しながら、自身の家業についても試行錯誤してきた。

昨日の忘年会、明能さんの今年の文字は「家」だった。自分も「家」と書いた。昨日、その瞬間やっぱり運命やと思った。直感で、明能さんの元で、働いてみたい。そう思って飛び込んだ七尾で、まちづくりへの理念、経営理念、など、思いを形にしていく人達の姿を見た。

僕は思いを「形」にできていない。なんでかと言うと、目標がブレブレだから。家業と向き合うとか、地元を率いたいとか、抽象的すぎる自分の目標は、どうしても毎回手段が先行してしまう。好奇心があるからと言い訳して、学生という身分をフル活用して、なんでもやってきた。その中で、たくさんの信頼を失うこともあった。それが一番悔しかった。自分はこの、家への思い入れが特に強いと思う。幼い頃は、他人の家族が羨ましかった。海野家は、嫌いだった。母親を殴る父、それを見て泣きわめく姉、それをボオッと見つめる自分。 引っ越しを繰り返し、親が離婚し湊の家に母と、姉と戻ることになった。それから曽祖母に育てられ、母親は洗礼を受け、祖父祖母はハンコ屋さんの商売を続け、熊田家の皆が好きなことに没頭している姿を見て、自分も好きなことをやりたい、それを探しに東京へ行った。今、その家業の自分が継ぐ準備をしている。継ぐことは目的じゃなく、継いだという結果になればいい。先代から受け継いだのは、「オーナーシップ」「家族」この二つ、ビジネスは俺が決めて、やる。そしてこれまで自分が口先で言い続けてきた、「地元を守る」とか「代表になる」とかは、結果として着いて来ればいいだけで、今は別にそんなことはどうでもいい。今まで歩いて来た場所、出会って来た人の幸せを追求するための道具として、家業を継ぐ。俺は、屈しない。

大切な家族ができた。いしり亭ファミリー。いしり亭、もりやま、いしり工房、常連の岡本家、今年、特にこの4ヶ月、新しい家の形ができていくのをこの目で見て来た。また、家の形が壊れそうになるのも、同時に見て来た。忘年会の席で、岡本家、森山家、の姿を見ているとニヤニヤが止まらなかった。嬉しかった。自分がその輪に、いられるということ。自分が勝手に思ってるだけかもしれないけど、日本だけでなく世界中に自分にとって家のような場所、家族のような人がたくさんいる。全ての人を幸せにしたいという思い、まずは地元白山市、その前に海野家、熊田家、この両家を結果として守り、夢を語るのはその基盤ができてから。

来年、刺激的な1年になりそう。

能登には多大な感謝ができた。いしり亭ファミリーのために、もう少し思考錯誤する。

家業イノベーションlive

12月17日、家業イノベーションLIVE@東京

熱かった。熱すぎた。ファクトリエの山田さん、平和酒造の山本さん、奄美の酒井さん、熱かった。山田さんは夏にお会いしてそのときに感じた熱さがあった。4ヶ月経った今、その時以上に目をギラギラさせていた。見てるとこが違う、見てきたことが違う。覚悟を決めた男の熱さを、感じた。

平和酒造の山本さん、地方創生という課題、これは地域の衰退によって起きた課題であって、働き手がいないとかいろんな理由があるかもしれんけど、地域だけにフォーカスしてなんとかなる問題ではない。そして、地域を守るとか、事業承継、第二創業とか、それは、結果。それらが目的になってはいけない。そこが自分の間違った考え方やったなと、思った。

かなり、手段が先行していた。夏、山田さんがおっしゃってた手段が先行すること、認識できたと思ってたけど、まだまだやった。継ぐとか、守るとか、そんなの今考えることではない、そういう思いはあるから、それは結果として自ずと出てくるはず。でもまず、目標、これを決断しなければならない。

家業ってみんな言うけど、それが政治になっても家業って言えると思う。実際うちの婆ちゃんは実弟が市長やから、地元で商売できなくなったり制限されとる。でも、市から仕事もらったり融通効くこともある。市長とか、県知事とかからしたら、市民とか県民がやっとる仕事って家業になるんじゃないかな。政治は、わからないことが多い。だから来年七尾で、トライしてみる。

今回のイベントでの気づきは3つ。

1. 地方の課題は地方だけで解決できない。

2. 「地域を活性化」「地域を守る」「事業承継」これらは結果。

3. 「向き合う」は乗っ取るための手段。とにかく、売れ。

もう、地方の課題は地方だけで解決出来ない時代になっている。地域を守るとか、伝統を残すとか、抽象的な「もの」に執着しすぎとる気がした。でも突き詰めて考えると、「人」じゃね?って思う。

俺が地元が好きって思い始めたのは、友人が子供を生んだ時。この子供たちがここで育っていく未来を想像した。従兄弟にも子供ができ、七尾でも子供たちを育てる大人の姿を見て、人って何のために生きるのか、俺の感覚にはなかった、やはり子孫のためなんじゃないかな。現状、俺には子孫はいないけど、友達や先輩方の子孫、地元白山市で生まれた子達が可愛くて仕方ない。子供ができたとき、俺の友人でもそう、覚悟が違う。東京で仲良くしとる人たちの中で、子供ができても産まないと覚悟を決める人もいる。

女性は覚悟を決めたら突き進む力がある。だから、実の曾祖母、祖母、母親はかっこいい。突き進む中でしっかり実績を積んでいる。父親は、わからない。たとえ俺の知らないところで実績を積んできたとしても、俺は知らない。そして、それはきっと過去の話。過去も、そして今も、努力し続ける祖母、母親の背中を見てきたからこそ、俺にはそのオーナーシップが受け継がれている。

目標ができた。口先、過去の栄光、言い訳、逃げ、ださい生き方はもう辞め。自分を兄のように慕ってくれる大切な繋がりもできた。大切な、「人」のために、その人たちが自分の幸せを実現していく働きかけをするために、突き進む。屈しない。

沸点

金沢で純也さんの後輩にボコボコにされた。
夏目ホルモンファクトリーの後継者である、夏目さんにボコボコにされて、
目標も人生もブレブレな自分を見ることができ、昨日杉山の姿を見て、
彼こそが改革者やなと。
僕の場合、チャンスがありすぎて、あれもこれもって手を出し、
いしり亭のインターン生であってもその先に、上に目標があるはずなのに、
それを探しにきている時点で、明能さんや竜太さんに自分の人生を任せてしまっている。
悪く言えば、いしり亭のインターンでうまくいかなかったら、
誰かのせいにできる環境にいるから、今まで資産を積み上げてきた家族に守られ、
僕はハングリーだと思われたくて、
人の幸せをどうのこうのって言ってるけど結局家の金で今、
その人を幸せにするという夢を実現しようとしている。
もう、辞める。
家業イノベーションキャンプで家族と向き合いたい、家業を乗っ取ると宣言したけど、
全くその目標に対して働きかけをできていない自分がクソだった。
孫として扱われるから今は何もできないと家族を言い訳にして、
大学院とか、就職とか、この前キリンのプロジェクトに携わる機会があったから、
キリンに就職してみようかなとか、そんな考え一旦置いておいて、
家業を立て直して白山市長になるという目標、家業を立て直すためのステップとして今、
いしり亭でいしりを売るための社内改革をやっている、その経験を元に、
山で漬物作って売ってそのお金を建設会社の負債と孫のお小遣いにあててる70歳の祖母、
今まで道を作ってきて会社が倒産して今は友人の畑で無農薬の野菜を作っとる75歳の祖父、
この人たちが死んだら自分が変わるだろうと、
その時はいずれやってくるだろうけど、もしかしたら、
その時を迎える前に僕が死ぬという可能性もある、
「」の海野将志ですと、もう言えるはず、
その「」に入る言葉は出ているはずなのに、
それから逃げているだけ。
振り返ってみればいしり亭のインターンをやりたいと思ったのは、
おばちゃん達が頑張っている店舗を俺がなんとかしたい!と思って来たのに、
できたことは、明能さんが考えたシフト制と水曜日営業だけ、
僕は何もできていない。明能さんが考えたからという言い訳逃れができるから。
でもそれは僕がいなくてもやろうとすればできることやと思う。
待つのも、言い訳するのも辞める。
高校時代のときは「星稜に勝つ」という目標があったからハングリーにやってた。
目標がなくなったから次の目標を探しに東京に出て、
アメリカ行ってフィンランド行って能登に来て、
探してるようで待ってるだけの自分に気づかされ、
それを否定され。否定されるのも待ってた。
そして否定された。今、白山市から僕は守られている。
白山市が僕を、市民を守るそのために生きるという生き様、
死に様を求めることが僕のしたいこと。
明日、家業イノベーションliveがある。
この沸点に達した状態でファクトリエの山田さんに会えることを楽しみにしている。

東京からのお客さん

東京から姉が帰ってくると聞いた。

先月末、曽祖母の容態が良くないと聞き、僕はすぐに実家に帰り、最後になるか分からないけど僕にとって本当の「母親」に会ってきた。うちの姉が東京から帰ってくると聞いた時、やっぱり姉もひいばあちゃんっ子やなって思った。

それがただの帰省じゃなくて、友達連れてきて「観光で来た」ついでに曽祖母に会いに来たっていう口実で帰って来て、家族に気を使わせようとしないところが、さすが姉。俺やったら、まあ学生やからってのもあるけど、バカ正直に帰って来てしまうと思う。俺も姉も家族、特に「ひいばあちゃん」への思いがあって、そこにでかい愛があることがわかる。よく考えたら、親が離婚して互いに湊の家で住むことになた時、一番親身になって面倒みてくれたんが、ひいばあちゃんやった。たぶん、幼少期のことやから姉も僕も、感じとることは一緒なんやな。姉弟って面白い、家族という繋がりを感じる時は、まさにこういう時。

 

そんな姉が、のんちゃん、あかねさん、Juriさんといしり亭に来てくれた!姉は別にいいけど、東京からはるばる能登まで足を運んでくれたことが嬉しくて、いしり亭の料理を食べてくれて、ちょっとだけ七尾を案内できて、なんか新鮮な時間やった。僕にとっては姉の友人であるけど、ただただ僕の好きなアーティストでもある。むしろそっちのイメージが強い。姉も含め、この人たちのダンスが、ただ「ダンス」と言っていいんか分からんけど、ほんとにやばい。昔、よさこいやってたときは、近くで姉がバレエとかやってても、それがなんなんみたいに全く興味すらなかった。よさこいしてたときは、男子の先輩がかっこよくてただ適当にやってたな。

今年の夏、いろんなダンスグループが披露するなかで、Juriさんのナンバーが出てきたときにそれ見て「やべえ」って思ったのがきっかけかも。それから俺はファンになってしまった。今度、Juriさんの舞台に出させてもらうかもって話になったから、楽しみで仕方ない。

このアーティスト達の作品を能登で披露し、能登を明るくするという、目標がまた一つできた。

 

 

仲代達矢

先日、テレビで仲代達矢さんの特集を見た。
1983年
旅行で能登に来た時に、能登の人々の魅力に惹かれ
毎年能登で稽古合宿をするようになったらしい。
20年前に仲代さんの監修で演劇堂が建てられ、
今、能登演劇堂で「肝っ玉おっ母と子供たち」
が公演されている。主演は仲代達矢さん、85歳。
最近のいしり亭のお客さんで
演劇堂へ行く前に、ランチしに来る人が多い。
東京から、金沢から、白山市から、いろんなところから。
自分が高校の時亡くなった、うちの曾爺ちゃんは
通信兵として戦争に行ってた人やったなと。
そしてうちの曾婆ちゃんはまだ生きとる。
小さい頃から家帰っても母じゃなくて
曾婆ちゃんと爺ちゃんと生活して、会話してきたからこそ、
なんか大きく感じることがある気がする。
戦争の時代を生き抜いて来た人らの命を感じたくて。
特集見ただけで、熱くなってしまうてことは、
演技見たら蒸発するかもしれん。と思って行ってみた。
能登中島駅を下車し、歩いて能登演劇堂へ。
見渡す限り山か田んぼ、上を向くと鷲が気持ちよさそうに飛んどる。
とか思いながら、のんびり歩いとったら通り雨が降ってきた。雨宿りなどするところはなかった。
いや、雨宿りしようと思えばできたと思う。けっこう強めの雨に当たっとるとき、
「生きとるな〜」って思った。こういう時、一番命を感じる。自分が世界の中で生きとるなあと、感じる瞬間。
日本の、しかも大好きな地元石川県の雨を全力で感じながら、びしょ濡れで演劇堂についた。
見渡す限り、じいちゃんばあちゃん、しかもかなりの数。座るところの争奪戦。
絶対あの中に20代はおらんかった、30代もおらんかったと思う。
15:00 開演
能登演劇堂の醍醐味、後ろのドアが開き、森から主人公の肝っ玉おっ母(仲代達矢)が出てきた。
会場では拍手が起こる。物語は進んで行った。
話はフィナーレ、思ってたのと違う。戦争と平和について考えさせられ、感動している自分の光景を想像していた。が、
話の内容、演出、そのへんは全然分からんかった。どうしよ。とか思いながら、
この俺の周りのじいちゃんばあちゃんは何を思っているんやろうとか考えていた。
舞台は終わり、拍手が起こる。鳴り止まない拍手。その音が忘れられない。
幕が閉じる。鳴り止まない拍手。幕がまた開く。立ち上がるじいちゃんばあちゃん。それに応える仲代達矢。僕は気づいたら泣いていた。
正直内容とかどうでもいい。目の前にいる仲代達矢は85歳にして、命がけで何かを伝えようとしていたんじゃないか。その特集を俺は見たじゃないか。
この人気は、この拍手の量は、彼の生き様、死に様への形だったはず。
周りで立ち上がって拍手していくじいちゃんばあちゃんの光景、目に焼き付けた。
将来どうなりたいか、キャリアについて最近はよく近くで議論されている。死に方、死に際について議論することこそ、
もしかしたらキャリアを考える上でのヒントになるんじゃないか。
今、僕が愛する人の一人、曾婆ちゃんが死に近づいている。
会いたくなった。と同時に将来家族が欲しい願望がまた強くなっていった。

能登上布

建物に入ると、奥の方から聞こえるガッタンガッタンの音と共に、
僕の半分くらいの小さな小さな体のおばあちゃんが出迎えてくれた。

七尾駅から4駅の能登部駅から徒歩10分、
住宅の周りには田んぼ。奥には里山。そんな景色を見ながら、
能登上布会館へ到着する。会館の前の公園では、おじちゃんおばちゃんがゲートボールをしている。
ついこの前、井の頭公園ではおじちゃんおばちゃんがテニスをしているのを思い出した。自分は50年後何しとるんかな、ゴルフかな、きっとサッカーだろう。

中能登町にあるこの、能登上布会館へ来ようと思ったきっかけは、
いしり亭に併設しているギャラリー葦で、能登上布の作品を販売しているからだ。
特に、先日白山市からの団体客が能登上布の付箋を爆買いしていったことから少し意識して作品を扱うようになり、
麻織体験もできるとのことで、行ってみた。

9:30 能登上布会館へ到着。
冒頭にも書いた小柄なおばあちゃんが出迎えてくれ、中へ入るとうちの母方の曾ばあちゃんくらいの
おばちゃんが二人、ガッタンガッタン音を立て、布を作っていた。
台がずらーっと並ぶ中、おばあちゃんに教えられ、自分も麻織をしてみることになった。
台をガタガタとする理由が分かった。目の前で糸が一本一本繋がっていく。そしてギャラリー葦で見たことのある布が出来上がっていく。
出来上がっていくのが楽しく、作るのに熱中していると時間は過ぎており、

「お茶ですよ〜」の声がかかっていた。どうやらおばちゃん達の小休憩らしい。
なんと、優雅な休日か。おばちゃんたちが休憩しながらどんな会話しとるんかなと、想像しながら僕は布を作っていく。

指導してくれたおばあちゃん、あまり教えるのが慣れていないと自分で言っていたが、
また一人、僕の先生ができた。次は取材しに来るねと約束し、会館を後にした。

 

 

 

桜丘の同期

高校の同期がいしり亭に!

選挙に台風、七尾自動車学校60周文化祭など、
緊張感があって賑やかな週が明けて「静かやな〜」って思いながら仕事をしてた昨日23日、
金沢からお友達が来てくれました。

いしりの味わい
能登の味わいを届けることができてよかった!
料理出てくるなり写真映え目指すあたり、さすが若者。
そしてすぐインスタのストーリー行くあたり、やっぱ若者。

許可を頂けたので、みんなをプチ一本杉通りツアーに連れていって七尾をPR。
凛屋や高澤商店を中心に紹介しましたが、
俺が一番楽しんでたと思う。みんなのおかげでますます能登、七尾に魅了されていくのを感じます。

来月も来てくれるみたいやから、楽しみ!

七尾自動車学校

人生のベストセラーやと思います。

「なんでこの時期に休学して能登なん?」
って疑問を家族や親戚からも持たれ、
正直自分でもなんとなくというか、
担当の森山明能さんとの出会いから直感で決めたことで、
これまで家族を含むいろんな方にうまく理屈で説明してきたような気がします。

でも、その疑問がこの一冊によって溶けました。
自分が描いとる、白山市で起業とか、地方から世界へとか、地元ために生きるとか、という理想と
幼い頃から避けてきた家業の建設業と向き合うと決めた、現実。
その葛藤を抱えて将来も考えてってなったら何したらいいか分からん!ってなってたのが懐かしくも思える。

いしり亭の竃でご飯を炊きながら七尾のマリンシティ構想のお話をしてくださる外志夫社長の背中を初めて見たとき確かに「何か」感じたのは覚えている。
自分が悩んでいる家業のことやったり、地域を思う気持ちやったり、もっといえば親子が普通に会話できる理想の家庭を築きたいって思いやったり。なんか込み上げてくるものは確かにあった。

理想を現実にしてきた方の背中から、何も感じない訳がない。
俺も今の現実と向き合っていきながら、理想を理想で終わらせない人生にする。

ということで明日は
七尾自動車学校60周年記念で文化祭が行われます!!!
皆さん森の中へ駆けこもう!!!

新潟の自動車学校に行った自分を少しだけ後悔する夜にします。

地域仕掛け人市

久しぶりのまりこ、
久しぶりのなっつ、
激アツな地域が集まる地域仕掛け人市で再会!

現能登留学生として、七尾での長期インターンのお話など
能登の魅力を学生や社会人の方々にお伝えし、
将来キャリアアップを目指す中で能登に来てもらう機会を提供しました。
御祓川の先輩方の元で活動させていただきました!

奥能登国際芸術祭PRも忘れずに。全身で能登を発信できたはず!