Routine

It was when I was high school, I have heard what Routine is. As a high school football player, each members in our team had made different routines for making our football performance great but I totally forgot what I had then.The point is didn’t make my routine as a voluntary basis, so like I was forced to do it by the coaches. This is so nonsense.

Like 8 years passed, there are many routines I have now.

  • Home Morning
    Read 2 local newspapers at 6:30
    Eat breakfast : Always, Rice, Natto(beans), Koji-duke(pickles), Miso-soup.
  • Office Morning
    Clean the entrance(玄関掃除)
    Shito shrine cleaning(神棚掃除)
    Newspaper check(I will write more details about what Newspaper check is later)
  • Office Evening
    Report and share who visited the office
    Dialy report
    Toilet cleaning

Came up these things in 4 months but I will create more, like reading, writing and those “input” “output” time, also walking. It’s just started, the important point is to “keep doing” more than the time like 10 years which is huge moment.

白山市に帰ります。To Hakusan, Ishikawa.

2019年8月19日付けで故郷である石川県白山市へ住所を戻し、9月中旬より新しい生活をスタートすることにしました。2014年3月から大学に通うため上京し、それから約5年半の人生を東京を拠点に過ごしました。今が、自分にとって一つ大きな節目になります。

August 19th in 2019, I’ve finally come back to my hometown Hakusan, Ishikawa and decided to start my new life from this mid of September. It was 5 and a half year spending my life based in Tokyo from March in 2014. Now is the time I thank everyone who supports me a lot with huge respect.

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受験期の直感

振り返ると、状況すると決めた理由は「なんか変だな」って思ったことだった。桜丘高校で高校サッカーに没頭し、引退後目標を見失った僕は、”周りが受験勉強をしていた”ことで焦りを感じ、それが動機で受験勉強に集中した。

当時のいろんな先生から、「とりあえず金大」って何度言われたことかな。だいたいの先生はこう言う。金大行けば、役所、大企業に就職しやすい。片親であった、という理由、というか親に迷惑がかかるという思いが強くて、地元国公立に進むのが一番や。当時はそう思って、金大(金沢大学)を目指した。そういった自分の考えに導かれて、受験期の12月まで高校生活最後を過ごした。12月、センター試験まであと1ヶ月という緊張感があるなか、なんでやったかな、地元の友人が東京の私立大学目指していることを知ったのもあり、突然「なんか違う」って思って東京行ってみたい、と思った。姉が東京の大学に通っていることもあり、一緒に住めば親も安心かなとか思って母親に東京に行きたいことを相談した時に、「いいな〜」って言われたのをめっちゃ覚えている。そして決めた。とりあえず東京に行くと決めて、目標の大学も友人が目指していた法政大学を目標にして受けれる大学受けまくった。たまたま母親が学生時代行きたかった大学が桜美林大学だったみたいで、桜美林のパンフレットが母によって取り寄せられていて、僕からしたら全然知らなかった大学で、桜丘高校で友達に言っても誰も知らんからそれが恥ずかしくてあんまり言えなかった。結果は、法政は落ちて桜美林大学が残ったから行くことにした。まあ、東京に行ければいいやって思ったけど、高校ではあまり誰にも言えなかった。みんな金大とか富大(富山大学)受かって当時桜丘から桜美林に行く人は僕だけだったと思う。東京行くからには、大物になって帰って来ないと恥かきそう、と思って桜美林の留学プログラム使って大学一年から半年アメリカに留学した。アメリカで友達めっちゃ作って、英語ペラペラになって帰ってきて、地元大学に通っとる同期と差をつけたかった。ほんとにこういうプライドできなものとなぜかめちゃめちゃ戦っていた。今思うのは、自分がそんなしょうもない考えしかできない男だったのか、ということ。ほんとしょうもない、自分(笑)。

↑これが僕が東京に来ることになったきっかけ。

「ほんとにそれでいいん?」と、自分の中にいるもう一人の自分が自分に問うてくれた。「海野将志はそんな生き方でいいんけ?」ってもう一人の僕が、僕の進む方向を正してくれた。

特に東京でこれがしたい!ってことは無くて来ることになったのは事実。受験期、金大目指して勉強していた自分へ内なる自分から「ほんとにそれでいいん?」って警告されたことが、僕が人生で初めて生きる上で危機感を感じた時だと思う。と同時に、東京に行こうって思うとすごい希望的なことが多くて、もういっろんな人がいて、国外もいろんなところ行かせてもらったりと、やっぱり、直感は良かった。最高の選択をした、と思う。そしたら大学5年間で、いろんなところに友達、仲間ができた。大学時代に関してはここに記したものがある。(大学時代に出会った人たちのことを書いたののがこれ。


出なきゃ分からなかった故郷への思い

「地元があるっていいなあ」と、最近よく言われることが多くなったと思う。自分の同僚は皆東京や関東が地元で、そういう人からもよく言われます。「羨ましい」と言われることもあります。「ああ、俺って恵まれてるんだな」と思い、地元があることに感謝するのですが、よく考えてみたら「地元があること」が幸せなんじゃなくて、「地元を愛せていること」が幸せなんじゃないかなと、思うのです。この心の豊かさを授かったことが、何よりの私の幸せで、それが今の自分を形成しているのだと思います。

僕は海外に住むチャンスも掴むことができ、それによって気付かされた地元愛を持ち、その思いから故郷に帰るという意思決定をできるという、本当に恵まれても恵まれないようなメンタル面での環境にいるということだと、思います。

とはいえ、山、川、海、雪、に囲まれた地元白山市は、やっぱり僕の生活には欠かせない存在です。僕が僕がって、僕はそう思うのですが、白山市に思いを持っている方は他にもたくさんいると思います。そういった熱い地元の皆さんと、これから汗をかけることが幸せだなあ。楽しみだなあ。

 


七尾で感じた危機感

石川県七尾市でインターンをスタートした初日に、師匠、森山外志夫さんからかまどでご飯を炊きながら民間のまちづくり会社設立の起源の話を聞いた。「役人ではできなかったをやった。」民間として資金を集め、夢のある会社を設立し、今も株式会社御祓川は存在している。僕が七尾でインターンシップ、高橋まさひろさんの応援などさせていただいたのは、株式会社御祓川のプロジェクトの一環でした。今も、後継者の森山奈美さん外志夫さんの思いを受け継ぎ、いろんなことを仕掛けているみたい。

七尾で感じたのは、能登半島が人口減少している、後継者不足、とかといった問題ではなくて、そういう地域だからこそ危機的問題にポジティブに取り組んでいるかっこいい大人達がいるのに、都市部にいる若い人たちはそういった人たちから多様な生き方としてそれを学べないこと。学生時代や、幼少期の原体験としてこういった人たちと触れることで、「将来何をしたいか」よりも「将来どんな自分になりたいか」ということを見つけるきっかけになると、僕は思います。

石川県白山市に住むことによって今までよりもさらに、七尾の皆さんの情報が入って来やすい環境になるのではないかと思う。それは、とても楽しみ。

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家族であり、人生の先輩方。

どれだけ予算があっても手にできない

最後に、SLUSH TOKYO Finance/Legal チームとしてこの1年、自分の使命をまっとうできたと、実感しています。すごく長く感じた、でも本気で取り組めた1年でした。

昨年の5月にチームからちょっとHiringされている感に気付いた時に、表に出るパートナーシップ営業チームやプログラム、ボランティア統括やりたいなと思っていたが、気づいたら一番やりたくなかったFinance/Legalチームという自分が絶望的に苦手な数字を扱わなければいけないチームの責任者を任されていた…。当時CEOだったAnttiとそのチームが、お金や法律に関する知識、経験ゼロの自分に、こんな大役を任せてくれ、同時に僕という人間をずっと信じてくれた。僕は「期待に応えたい」そして「このチームの成長を支えるんだ」その思いだけを忘れなかった。

チームの体制が変わる前も後も、イベントを終えた後もこの組織で会社を持続させなければならない使命と、自分の人生どうなるんだろう(大学卒業時期と経理の繁忙期が被ることで新卒採用を断念)という不安で、「何やってるんだろう、俺。」って思う瞬間は何度もあった。イベント後はチームからほとんどメンバーがいなくなり、それも自分のモチベーションを壊していくきっかけになった。そんなモチベ低すぎる自分を変えてくれたのが、新しくチームに入ってきた仲間たちの存在でした。

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「Slush Tokyo x Sustainability Summer Meetup」 2019/08/13 at Shibuya

目をキラキラさせていて、夢を持っていて、どんなことにも全力で楽しくポジティブに取り組む姿勢、夢のある次世代の仲間達を見て、「よし、決算までやりきろう」と強く思った。僕は彼ら彼女らをそれまでしっかりと支え、次につなぐことが今の僕の使命なんだと認識した。実はチームからは、「ママ」とか「おばあちゃん」呼ばわりされたりされていて、それはまさに、僕が小学校の頃両親のいざこざでで辛かった時に僕を支えてくれた今は亡き曽祖母のように、チームのみんなを支えることができていたのではないかと、思う。このチームを支えることに一生懸命になれたことは、亡き曽祖母への恩返しでもあるんじゃないかと、今になって思う。そう考えると、曽祖母へ恩返しする一つの機会をくれたチームの皆に、僕は本当に感謝しなければならない。溢れんばかりの感謝を。みんな本当にありがとう。

改めて振り返ってみると、本当に楽しかったな~~~と!

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いつかのオクトーバーフェスト
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Welcome to Tokyo Linda!
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My family.
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My family 2. in  Azabu
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My family 3. “Global Gathering 2018”
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My team, awesome team.
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人生の先輩。
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in 上海
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My family 5 “いただきます”
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My family 6. “Global Gathering 2019”
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My family 7.
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大好きな先輩。高校の時も、今も、これからも。
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懐かしい。
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懐かしい。

本気で楽しめて、本気で学んで、本気になれる次の道も見つけることができた。最高のメンバーだったなあ。遥夏、夏海、一真、Natalie、Jorel、Vikki、Yopi、浩基、真梨花、紗貴美、螢さん、小優希、オットー、ありさ、そしてAntti、よしさん、克志、衿子も、皆が最強で、これからも応援したいと思える、そして刺激し合える人達です。媛香、夏実、Sam、匠、将大、温、Paul、Hubert、みんなちょっと個性強すぎて参ったりすることもあるけど、夢がある仲間達で仕事も本気で一緒にできて、プライベートも本気で一緒に遊べる人達。チームの皆だけじゃなくて、Slushを通して友達になったり、お世話になった先輩方やパートナーの皆さんも刺激的な人ばかり。

“どれだけ予算があっても手に入らないのが、この人達なんだな” と、この一年でこれが僕にとっての一番の学びでした。

お世話になった皆さま、ありがとうございました。これからも海野将志をよろしくお願い致します。

Even if you are indifferent to politics, you can not be irrelevant

It’s been almost 1 month after the biggest election of the Member of the House of Councilors in Japan ended in Reiwa era. During the period, I think I could do the best for letting people around me go to vote, like my awesome colleagues. However, never felt something changed in society. What I wanted to change was people’s mindset and their actions for Politics and the societies in Japan.

The voting rate of the election was 48.80% which is the second lowest rate of the Member of the House of Councilors in the history in Japan.

I think people try to change this rate more getting increasing, but the point is we have to get closer politicians and people in this nation. That is the purpose, we both need to change if you wanna change something in this nation, I think.

I always have a question of what “I” can do for this issue. My answer was to change the people around me first, like my colleagues. I have a belief “A person who cannot change the person in front of you cannot change the world”. Fortunately, most of my colleagues are around 20 years who are said they are not going to vote usually. So I thought I was supposed to try to let them go vote as sending a reminder to them.

Why? My team is existing to change the world. That’s it. For me, it doesn’t make sense someone in the team who wants to change the world abandoning the right to vote.

I got many comments from my colleagues, “I went to vote with the families”, “I went to vote with the families during walking the dog”, “Because of your reminder and pressure”. Glad, glad to hear that kinda voices they went to vote since my reminders and pressures that made my life. That is one of the reasons I have my life.

Also, this was my first time to go vote with someone. I went to vote with Sho one of my colleagues he had just turned 18 years old., so it was his first time to go vote in his life. Couldn’t imagine I would encounter this kind of memorial moment here Tokyo.

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The guy went to vote for the first time in his life

Some people around me seemed they didn’t go vote, actually. It is thankful for me, I don’t stop doing this campaign for enlightenment the rest of my life. Thanks my friends who will change society with me.

Big change is from piling up by small changes, I believe it.

Have I become a Finn, finally?

I think not yet, but thank you my friend Pasi. It was 6.10.2019 at Jyväskylä, Finland.

Visited to Jyväskylä to meet Pasi who my old friend we were the student at J.F.Oberlin University in 2016 spring together and he is currently working at trustmary one of the video prodcution company. And I have visited with one of my team Sho Tokuoka at Slush Tokyo who has been to Europe countries for the first time to this memorial moment.

I met Pasi after almost 3 years when I was in Kuopio. He organised everything like our stay in his place in Jyväskylä.We had a lunch together at Jyväskylä, and Sho and I went to the adventure park in Jyväskylä, we expexted to have just fun but it was super hard working time for us… but the adventure park was awesome to work out with big forest and mosquitoes.

Adventure Park in Jyväskylä

After that we wemt to Petäjävesi Old Church with Pasi’s friend pekka where I tried to go when I was in Kuopio with Pasi, so I have finally visited there even Pasi haven’t been there before. The architecture was bulided in 1763~65 by woods and registered the world heritage in 1994.

Petäjävesi Old Church

I was suprised Pasi is from the island in Jyväskylä. We visited his parents house where Mayu our frined in Japan before as well. His mum and dog called Ellu are awesome they made warm us like as one of the family even we are from weird country Japan as stranger. Living at island where just passed after the bridge makes me remember Notojima where is near my home town and I have worked as internship and Takahashi san election support.

Ellu and me
Pekka, Pasi, Ellu, me, Sho

The captain petri has a boat called Repe, the coolest one I ever met before since there is a sauna inside a boat. This crazy thing I totally didn’t expect before I came to Finland. Like a thing I just can see the movie or Youtube. We moved to Naukula one of the islands in Jyväskylä and we had a BBQ with beautiful sunset.

What a this crazy thing is Sauna in boat makes me feel I finally have become a Finn even I experienced sauna, swim in frozen lake, play with reindeers and so on. This crazy thing was awesome. The captain Petri’s grandfather made it and he took over it.Having sauna in the boat and swim in the lake naked with beer. Wow, how can I imagine this happening when I was little? This is like I only watched on TV in my life. However, it happened me, wow. Pasi, Pekka and Petri, you guys are awesome I’ve never met in my life. You guys made my part of new life in 2019.The purpose of this trip to Finland was to join Slush global gathering but it made my trip in 2019 which is the year mt graduation and started working as full-time job.

Arigatou, Pasi, Pakka, Perri, Elina, Pasi’s family.

See you in next time!

卒業しました。 Graduation

2019年3月18日

桜美林大学リベラルアーツ学群学士過程を終えました。5年間の大学生活はほとんど学外で過ごしました。

ノースカロライナ、クオピオ、七尾、といろんな国や地域で長期滞在し、そこで出会う人たちと交友を深め過ごした日々が僕にとって特に、かけがえのないものだったなと実感しています。

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UNCCのクラスメート/Classmate at UNCC
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UNCC の先輩方と友達/ Friends at UNCC
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UEF留学中ラップランドに旅行した時/At Lapland when I was at UEF
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UEF留学中のルームメイト/Roommate at UEF
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七尾の家族/Family at Nanao
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七尾の戦友/Senyuu at Nanao

 

とまあ、国内外関わらず普段自分が行ったことのない地域に行って生活してみるってことは、学生の時にやっておいてよかったなと思う。多分こういう機会はこれからあまりないだろうと思う。アメリカでは言語を、フィンランドではビジネスを学び、七尾では経営者の元で経営、そして選挙を通して政治に興味を持った。僕が好奇心旺盛なこともあり、結局大学生活も5年間かかってしまった。

どこかに行って長期滞在もあったが、学校通いながら都内でもいろいろ活動させてもらったな。大学2~3年の時は居酒屋バイトに没頭して留学費用を稼ぐことしか考えてなかった。それで学業もおろそかにしてしまうこともあったな。でも、フィンランド留学中いろんな友達に日本食振舞って「シェフ」呼ばわりされたのは、間違いなく居酒屋バイトで料理人から教わった教養とスキルがあったからだなと、社畜だった自分をむしろ誇りに思う。フィンランドで日本食が評価されていることを実感し、日本帰ってきてからoiseauの松田さんとオランダで日本食を広める計画したりと、実現はできなかったものの八百屋(Yaoya Suika:http://www.suika.me/ )でアルバイトさせてもらったり「食」っていう分野に携わることの機会をたくさんいただいた。

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左から大学の後輩の麦・僕・松田さん

そんなこんなで気づいたら大学5年目になっていた。

「卒論でもやるか〜」ってなって堀先生の元で中小企業の事業承継に関する研究を進めていたら、SLUSH TOKYO も世代交代の時期にあるって噂で聞いて、気がついたら当時時期CEO、COOと言われていた古川遥夏(現CEO)と柿嶋夏海(現COO)が持つ信念に共感してチームの一部になっていた。ふたりを見ていると、こういう人が世界を変えるんだってのが分かる。強い信念を持ち、人への優しさも備えていて、まさに着いていきたい。応援したいって思わせる人格者です。でも僕自身、目立ちたがりなのでそういうボランティア統括とか、営業とかってポジションでやりたかったところなぜか、Finance and Legal 経理法務担当としてジョインしていた。それは今でも不思議に思う。ただ、僕自身興味があったことが会社の経営と承継ってポイントであって、その観点から「前任者→後継者」への引き継ぎをバックオフィスとして俯瞰的に見れたってのは大きかったなと。約1年間だったけど、一瞬一瞬がドラマチックでこれは時間作って本にもでしたいな。よし、書こう。

みんな一人一人が強い個性と信念があってまじでリスペクトしてる。

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Slush Tokyo 2019 (Already missing you guys)

 

家族。

僕はあまり自分の家族を「好き」って思えなくてそれは過去に両親が離婚したりとかいろんな理由があったんですが、ここまで来るのに自分を心配し、見守ってくれていた皆に感謝しきれないです。母、父、母方、父方の祖母、祖父、曾ばあちゃん、曾じいちゃん、特に作昨年末に他界した曾ばあちゃんに学位を届けることができなかったのが残念だが、きっと見てくれているんじゃないかな。これからもこの町を見守ってほしいなと、思います。そして、僕もできなかった決断をしていこうと思います。

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左から、曾じいちゃんと曾ばあちゃん
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23年間ありがとうございます。母。

その他、

式で会えた方も会えなかった方も、たくさん支えてもらいました。ありがとうございます。

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堀先生、たくさんお世話になりました。
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畑山学長、やっとお話しできた〜
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英米文学の大竹先生。大学の母ちゃん的な存在でした。

本当に、僕一人ではここまでこれなかったと思います。自分を応援してくれる、どこかで見守ってくれている、支えてくれる仲間や先輩方がいて初めて海野将志だと実感しています。たくさんの感謝を込めて、ここに記しておきたいなと思います。これからも精進していきます。

2019年3月24日 海野将志

 

【Visitors from Finland】

東フィンランド大学から、JonnaとSaaraが来日すると聞き、ちょっと動いてみました。
リベラルアーツ学群長の堀教授と、コミュニケーション学の浅井教授と協力して
学生目線のレクチャーができないかと話し合い、異文化コミュニケーションのクラスで実施しました。
彼女達も先生として目的を持って来日していた。やっぱりプロフェッショナルな人は違うな、かっけえ。
こういう学生の国際への関心を高める特別講義みたいなのは、どこでもある事だと思っていて、
今回は、浅井先生の異文化コミュニケーション履修者50名の目線になることにとことんこだわった。実際、彼女らが持っているプロフェッショナルなビジネスコミュニケーションについてレクチャーしても、学生とのギャップはありすぎたと思う。だから事前に学生に、フィンランドについて調べる、そしてプレゼンする。選ばれた2チームが調べたことを当日プレゼンするっていう風にして現状の興味関心度合いと、少し知識を得てもらうようにした。
その結果から、2人のフィンランド人が、最近注目されているフィンランドの社会福祉や、教育の制度で生きてきた、またこれからそういった制度で生きていく子供を持つ母としてのモデルになってもらい、彼女らの生い立ちとか、結婚するまでの過程を自分の昔の写真とか使って話してもらったら、日本社会で育ってきた学生なら今の日本社会とのギャップを勝手に”感じる”やろと思ってそういった内容にできないかと交渉した所、やってくれた。My Personal Story っていう題からレクチャーを始めてくれて、まじ?!ってくらい自分の歴史をオープンに見せてくれた。フィンランド人だということを疑うくらい、オープンな内容だった。「娘の学校はこんな感じだよ~」とか、話してる時に母親になっているJonnaが垣間見えたりするのが、人間味があってなんか幸せやなってなったね。
これを機に、フィンランド行くわ!って後輩とか友達とかいてそれは素直に嬉しかったけど、
普段の授業でボケーっとしてる学生がニヤニヤしながら話聞いててそれ見て俺も同じ顔になってしまったね。ただ、来てた人の中で「フィンランドに行く」と1番強く決意してたのは、間違いなく俺でしたね。もう一度、行く。そして行くチャンスは、いくらでもあるということ。
堀先生、浅井先生、Jonna、Saaraへの感謝はもちろん、
手伝ってくれたチーム、こうめ、ななこ、みゆう、まゆこ、みのり、ありがとう。

2種類の大人

安定を求める大人

夢を追いかける大人

大学生目線から、大人をこの2つに分類できると思った。

まさにこの2人が今、職場の上司として共に働いている。仲が悪くないが、ぶつかる時がある。昨日、僕は前者と意見が合わず言い合いになった。

前者は安定を求めた上で、アルバイトとして働いている。後者は、夢を追いかける過程でアルバイトとして働いている。前者はその職場、大手居酒屋チェーン店に生活を委ねている。そういう人は他にもいる。だから献身的に、働いている。後者は、目標のための通過点としてそこで働いている。別にその職場で働かなければいけない訳では、ない。そこにいなくとも、稼ぐことができる。だから、生活のために安定を求めている訳ではなく、夢を追いかけ、結果的に安定している。

安定は、求めることではない、と思う。俺は絶対に後者だ。前者と昨日揉めたことによって、それに少し気付かされた。

正直、安定は求めることでもあるとは、思う。求めなきゃ行けない状態になることが、ある。そんな状況にいる、友人がいるからそれは感じている。

子供がいるということ。子供ができたら、安定は求めるべきことだと思う。ただ、子供や、守らなければいけない人がいないのに、安定は求めることなのか?

安定は、守りたい人、守らなければいけない人を守るための手段。

安定は、夢を追いかけた結果生まれる、結果。

この2つの理論を、2人の上司から学んでいると、感じた年末年始。
かっこいい大人がいる。中学のサッカー部の後輩で、自分より2つ下の男だ。母子家庭で、母親のために高卒で地元の大手に就職し、家を建てたらしい。その情報を耳にし、彼が自分を慕っていた姿を思い出し、嬉しさがこみ上げてきた。と同時に、自分が情けなくも、なった。後輩がでかくなっている。負けてられない。彼は今年、成人する。自分の周りには、かっこいい人がたくさんいる。

人間関係で大切なのは、需要と供給なのかなと。

相手が求めているものや、ことに対して、自分は何を与える事が出来るのかを考え、行動する。

わがままな人もいる。良くも悪くも「普通」とか、「当たり前」と思われていることをしない人もいる。クズだと思われる人もいる。社会的にとか、という理由で批判される人もいる。昨年はその一部が日本でかなり話題になった。

僕は祖の教えの元で、自分で考え出した答えを貫いていくことにする。

「失敗」の1年

2017年は、失敗ばかりだった。

人間関係、家族関係、男女関係、キャリア、大学、人様に迷惑ばかりかけてしまった。

目的と手段、KGIとKPI、こういうワードがあることを知った時、自分を振り返ったら吐きそうになる。

機会があったらなんでもやってみる性格なのか分からないが、いつもやってみて、それで終わる。目的がなく手段が先回りするから、1歩も進めていない。夢だけ語る、ださい人間になってた。

トビタテ留学への挑戦、トビタテで留学することが目的化していた。選考会で、熱い人達を見ることだけできた。知り合った人の中で、ほとんどが今、イギリスでファッションの勉強したり、スイスでドローンの研究したり、デンマークで少数派の社会問題に取り組んだり、トビタテの奨学金を得られなかったけど、早期卒業してイタリアの学校でファッションの勉強をしている、大学の同期などがいる中で、俺は機会があったから行けた2回の留学のおかげで、大事な、自分自身で目的を具現化、言語化する作業を怠るようになった。だから、「地方創生」「地域の活性化」こういったことを、国がそう言っているから、とか他人を理由にして、全部自分の利益にしようって考え方が、染み付いてしまった。

社会に出たら誰も守ってくれない。

今まで家族が自分を守ってくれた。家族は地域の人達と支えあって生きてきた。今、母親が学費を納めてくれ、生活費を稼ぎ、大学が自分を守ってくれている。

就職するのか、大学院へ行くのか、起業するのか、こんな、選択肢という誘惑から、今年は逃げて来た。別にどれも興味ない。直感的にこれだ!という選択肢が自分が見えている領域の中には、なかった

という、逃げを挑戦という言葉に摩り替え、七尾市にインターン生として飛び込んだ。七尾市のいしり亭を選んだ理由は、森山明能さんという人に興味を持ったから。経営者になるという目標があり、石川県で家業の自動車学校を経営しながら、七尾を拠点に全国で活動する姿が、印象的だった。

七尾での4ヶ月間で気づいたこと、教訓はこれら。

  1. 自分は常に責任逃れできることをやっているだけ
  2. 「うるせえ」と自分に言え
  3.  「家族」が生きることの目的

 

幼少期はサッカーに打ち込んでいた。そして中学であの黄色い軍団、星稜を倒すという目標があったから、中学、高校とサッカーに打ち込めた。自分で決めた目標だったから、本気で打ち込めた。目標は達成できなかったが、燃焼できた。

高校3年以降、すべて他人任せ。学校関係者は金大金大って言うから洗脳されるかのように、金大合格を目標に勉強していた。高校3年の12月、友人が法政大学受けて上京するって聞いて、めっちゃ羨ましくなって、母親が用意した桜美林の冊子を見てたら大学とかいいから東京行きたい!って思って、姉もいたから上京するために東京の大学を受けまくった結果、桜美林になった。結果的に、母親が行きたかった大学に行き、大学が用意してくれた留学プログラムで2度、留学した。能登留学のインターンで七尾に来た。いろいろ自分からやっているようで、全部、大学のせいにしたり、能登留学のせいにしたりできるポジションにいる。

俺がなりたい姿ではない。

自分で決めて、歩いていく。そこに人が集まる姿を理想としているのに、全部他人任せ。もうそんな人生は、辞め。ストレートで大学院進学をめっちゃ推す母親がいる。それを理由に、また道を他人任せにするところやった。母親、「うるせえ。」母親に洗脳されてたまるか。

 

と、「うるせえ」というのは自分の脳に対して。母親には、「うるせえ」なんて思ってない。自分を洗脳しようとするもう一人の自分に対して、「うるせえ」と、言う。こうやって自分自身にうるせえと言うという技を覚えることができた。これはかなりでかい今年の収穫。

 

家族

一つ上の従兄弟に、二人子供がいる、二人目が5月に生まれた。地元の友人に、子供がいる。親戚が結婚して又従兄弟ができた。

森山明能さんが家を建てた。竜太さん、亜子さんが結婚した。

曽祖母が、死んだ。

誕生と、死を見た2017年。

従兄弟は、子供ができてからめっちゃかっこよくなった。皆、覚悟決めて、生きている。守る人がいる人はまじでかっこいい。そして、めっちゃ幸せな気持ちになる。

自分の両親は好きやけど、やっぱり憎い気持ちがある。他の家族を見てると、なんで俺の家は。。。って、離婚して、死にかけの商売やっとって、ってなんか嫌になる。

「うるせえ」どこが死にかけの商売や。家業イノベーションキャプで目ギラギラさせて実家がやってきた商売の遺産を、将来の可能性と見てギラついている人たち見たやろ?と、いま、燃えている俺が中にいる。

地元を守るとか、盛り上げるとか、そんなん結果的になればいいんや。とにかく、俺は

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これらを売る。

だからそのために、という道を計画して歩く年、まずそれが2018年になる。

 

祖、みさをばあちゃんに感謝して新年を祝いたい。

 

感謝

平成29年12月25日10時42分

愛する家族が1人、深い眠りにつきました。

熊田みさを(旧姓:高崎)、97歳。

僕との関係は曾祖母であったが、本当の母のような存在だった。

約13年前に親父の会社が倒産し、湊町に引っ越した後、生活面、精神面で自分を支え続けてくれた大切な人。幼少期の記憶は素直で、好き嫌いがはっきりしていると、思う。小学生の時は、母親は、仕事が忙しいのか外にいることが多く、祖父と祖母も実家の商売で忙しく、僕のようなガキに対して「育てる」ことをしてくれたのは、曾祖母だけ。

幼少期なんて、経済面でどれだけ支えてもらっていても、それを感じることなんてない。それは社会に出てからやと、思う。幼少期に自分という人間が、将来、海野将志として社会で生きていく時の、人への接し方や、見た目も含め、性格、第一印象、僕という人間の心と体を作ってくれた人が、ばあちゃんだった。

つまりばあちゃんが、海野将志の人格形成の親であるということを、改めて今感じている。

昔、学校では、人に悪さばかりして放課後はサッカーに打ち込み、家に帰るとシワシワのばあちゃんがいて、この人には優しく接しないといけないと、いう自覚があった。その頃は地位とか立場とかそういうことはどうでも良くて、ただ自分より弱い人は優しくし、守らなければいけないという意識はあった。でも、悪さばかりしてた。自分を見て欲しくて。

家に帰ると、「ごはん食べたか?!」っていつも聞いてきて、食べた!って言っとるがんに、すり足で台所と茶の間を行き来し、自分が作ったご飯を運び、与えてくれた。だいたい、近くの魚屋で買った魚の煮付けか、焼き魚に、味噌汁とごはん、という組み合わせがほとんどで、友達の家のごはんは、両親が作るハイカラな感じで羨ましかった。

中学、高校とさらにサッカーに打ち込み、夜も遅く、帰るとばあちゃんに会えない日もあった。思春期になると、過保護なばあちゃんが、ウザったくなった。会うとうるさいから、それを避ける日もあった。

桜美林大学に進学し、上京した。アメリカへ留学した。帰国した。実家に帰った時の、心から安らいだ気持ちを今でも忘れない。今ならなぜそんな気持ちが生まれたのか分かる。

それは、帰る家が、あったから。この家というのは物体としてもそう、でも目に見えない気持ちの拠り所としての家が、僕にとって湊町の9区に存在していたから、こんな気持ちが生まれたのだと今では、分かる。ばあちゃんはこれまで、家を結果として守ってきた。戦前、戦後と守ってきた。家の前のコンクリが、砂利道だった時から、守ってきた。

守ろうとしてではない、家族が帰る場所を、大正、昭和、平成と時代を超えて、思いを持って作ってきた。だから結果として玄孫が生まれた時代まで、守られている。

成人式、スーツ姿を誰よりも先にばあちゃんに見せたのを覚えている。東京から帰った時、家に入ってばあちゃんに声かけると、「帰ってきたんか~」と言って、毎回のように泣く。そんなばあちゃんが好きすぎて真っ先にこの20歳という節目の時を、知らせた。それが今から約2年前の話。

今、葬式を終えてやっっっとばあちゃんが家に戻ってきた。やっと、ばあちゃんの愛する夫、満の元に来れた。きっとこんな顔で、満と歌でも歌っとるんじゃないかな~。
「地域に貢献したい」「地元を盛り上げたい」「地元を守りたい」「地元のリーダーになりたい」「家業を継ぎたい」

こんなことばっっっかり、俺は言ってきた。結果としてしか生まれないことばっかり言ってきた。でもそうしたい、そうなりたい気持ちは人一倍強いと実感している。みんな、何かのために家を出る。昔だったら男は戦争に行き、女は家で働く。ちょっと前だったら、男は働きに出て、女は家で働く。今だったら、みーんな働きに外へ出る。働くことは、何かのためにする手段なのに、働くことが目的になって進学したり就活する世の中。俺もそう、熱中できることがサッカーで星稜に勝つことで、それがなくなったから熱中できることを探しに東京とか、アメリカとか、フィンランドに行った。でも、幸せを感じる時は家に帰った時。

25日から28日まで家にいて、ばあちゃんの側にいて、昔、満じいちゃんの趣味だったであろう、昔の湊町の写真を眺めて、自分が見たことのない綺麗な姿のみさをばあちゃんを眺めてると、時空を超えてばあちゃんに恋した気持ちになった。じいちゃんが羨ましい。

ばあちゃんは死ぬ間際まで、日記を書いていた。字はかなり読みづらいけどはっきり何を伝えたいか分かる。

「家に帰りたい」「徳江が家にいてくれるから安心」家への思いの強さを感じる。たまに出る可愛さも忘れられない、自分の部屋に間違っておじちゃんが入ってきたらしく、それを「誰でも失敗はあるよ」と悟るように書いてったりもした。

「何」を、彼女から受け取るか。

ばあちゃんが生きた97年。最後は、3人の孫、4人の曾孫、2人の玄孫に見送られる姿。葬儀後、新聞見て家に駆けつけ、ばあちゃんを参っていく地域の人達の声。

人の幸せは、その人が決めることかもしれないけど、共通することがあるんではないか。帰る家があるということが、どれほど人間にとって大切なことか、彼女の生き様、死に様からその大切な思いを受け取った。

祖父祖母は、もう70代。母親はこれから、外へ外へ出ていこうとしている。姉も、外へ外へ出ている。誰が、このばあちゃんの思いを、伝えていくのか。

俺しか、いない。

熊田家を、俺が守る。別に自分の帰る場所じゃなくていい。他人でもいい。親族じゃなくてもいい。形式にはこだわらない。

それは、みさをばあちゃんが12月25日に眠ったからそう思うのかもしれない。今、実家に満じいちゃんと、みさをばあちゃん、昔飼っていたピースという柴犬の、3人の写真がある。3人は今、何を喋っているんかな。

突き詰めるところは、平和とかいう言葉になるかもしれん。条約とか、協定とか、憲法とか法律とか制度とか、決め事は手段として大事。でもいろんな既存の手段、新規の手段ができていく世の中だからこそ、信念を貫いていくことが大事。

それは結果として良くも悪くも後世に残っていくはず。自分の祖は、間違いなく「熊田みさを」。この女性に愛されたように、今、そしてこれからの家族を愛していく。

みさをばあちゃんいつも、俺の中にいる。

これからも、湊町にいる。

ありがとう。ばあちゃん。