安定を求める大人
夢を追いかける大人
大学生目線から、大人をこの2つに分類できると思った。
まさにこの2人が今、職場の上司として共に働いている。仲が悪くないが、ぶつかる時がある。昨日、僕は前者と意見が合わず言い合いになった。
前者は安定を求めた上で、アルバイトとして働いている。後者は、夢を追いかける過程でアルバイトとして働いている。前者はその職場、大手居酒屋チェーン店に生活を委ねている。そういう人は他にもいる。だから献身的に、働いている。後者は、目標のための通過点としてそこで働いている。別にその職場で働かなければいけない訳では、ない。そこにいなくとも、稼ぐことができる。だから、生活のために安定を求めている訳ではなく、夢を追いかけ、結果的に安定している。
安定は、求めることではない、と思う。俺は絶対に後者だ。前者と昨日揉めたことによって、それに少し気付かされた。
正直、安定は求めることでもあるとは、思う。求めなきゃ行けない状態になることが、ある。そんな状況にいる、友人がいるからそれは感じている。
子供がいるということ。子供ができたら、安定は求めるべきことだと思う。ただ、子供や、守らなければいけない人がいないのに、安定は求めることなのか?
安定は、守りたい人、守らなければいけない人を守るための手段。
安定は、夢を追いかけた結果生まれる、結果。
この2つの理論を、2人の上司から学んでいると、感じた年末年始。
かっこいい大人がいる。中学のサッカー部の後輩で、自分より2つ下の男だ。母子家庭で、母親のために高卒で地元の大手に就職し、家を建てたらしい。その情報を耳にし、彼が自分を慕っていた姿を思い出し、嬉しさがこみ上げてきた。と同時に、自分が情けなくも、なった。後輩がでかくなっている。負けてられない。彼は今年、成人する。自分の周りには、かっこいい人がたくさんいる。
人間関係で大切なのは、需要と供給なのかなと。
相手が求めているものや、ことに対して、自分は何を与える事が出来るのかを考え、行動する。
わがままな人もいる。良くも悪くも「普通」とか、「当たり前」と思われていることをしない人もいる。クズだと思われる人もいる。社会的にとか、という理由で批判される人もいる。昨年はその一部が日本でかなり話題になった。
僕は祖の教えの元で、自分で考え出した答えを貫いていくことにする。